付箋史(仮)

断片でしかないけど、素人ながらの歴史絵本。知りたいとこにマークして百ヶ史(むかし)を歩く。

御嵩町のマリア像

御嵩町可児市と思っていましたが、可児郡なのだそうです。
御嵩町と言ってもピンと来ないかもしれませんが、中山道御嶽宿のあった場所です。

私も上手く説明できないので、

この図で確認して貰えたら何とかわかるかと思います。


以前も御嵩町を訪ね、触れてみました。
https://aojiiru.hatenablog.com/entry/2019/09/07/225301

その郷土資料館でこの里には隠れ切支丹がいた事を知ってとてもビックリしました。

隠れ切支丹と言えば、長崎県のイメージしかありませんでした。


以前のブログにも遺物の写真を載せました。



同町内の山奥の方には記念碑的にマリア像があるらしいので、探して見ました。



この場所が、その遺物発見史跡でもありました。
それが、


この隠れキリシタンの里から発見された物には

等があるそうです。
写真左下には南無阿弥絶仏と刻まれている塔があります。


信長によりキリスト教が許され、宣教師等も来たりした事があったり、信長の家臣も改宗したりし、民衆もキリシタンになった歴史があるそうです。
それが秀吉により禁教令が発せられ処罰の対象となり、江戸時代も同様の扱いでした。



この辺りをふらついて不思議に思ったのは今の子孫の方々はその信仰をしているのかなぁという事でしたし、当時は教会的な信仰の集いのような事があったならどのように為されていたのだろうか、更に宣教師がいない環境の中で、
キリシタン達の教義はキリスト教の教えと同じ物だったのかとかはとても知りたいと思いました。聖書は隠されていたのだろうか?
長い間、密かに信仰されてきたキリスト教、日本のどの辺りに迄隠れキリシタンは存在していたのか?長野県には隠れキリシタンは存在していたみたいです。
各地での隠れキリシタンの信仰には独自の解釈というか形に変化して行ったのでは?とか共通点はキリストという一神教、十字架、聖母マリアだったのでは?とか妄想ですが、知りたい事が次々に思い浮かんで来たりしました。

子孫の方に話を聞いてみたいなぁと思いました。